M&A初成約のお話

はじめに

 皆さん、こんにちは!株式会社NEWOLD CAPITALの代表取締役CEOの栗原 弘行(くりはら ひろゆき)と申します。
当社のCxO Diary2回目となります!

自己紹介

 少しだけ私の自己紹介をさせて下さい。
 

 私は、大学を卒業し、2006年に日興コーディアル証券(現:SMBC日興証券)に入社しました。新卒同期4名が同じ課に配属され、私は徹底的に新規開拓に勤しみました。1日数百件のコールドコールをし、アポ件数、口座開設件数、資金導入金額、投資信託販売金額、個人向け国債販売金額、SMA(ラップ口座)販売金額、手数料などを競い、毎日、夕方になると順位表が送られてきていました。幸いだったのは、2008年のリーマンショック前、2006年は歴史的にIPO件数が188社と多く(2006年はビックカメラ、あおぞら銀行といった比較的大型のIPOも多かった)、新規開拓は順調で、それなりに結果を出すことができていました。課長はとても優秀な方でしたが、アポイントで外に出ると30分おきに電話が掛かってくるような方で、良い意味でこれが社会人の常識なのか、ビジネスをするというのはこういうことなのかと徹底的に鍛えられた社会人1年目でした。

 当たり前の話ですが、ビジネスパーソンとは、結果で評価をされるということを、身を以って学んだ私は、ここから数字と戦うビジネス人生を送ることになります。これは、何よりビジネスにおける私自身の闘争本能を呼び起こしていただいた原体験となります。

M&A業界への挑戦と苦悩

 その後、2008年に、日本M&Aセンター(中小M&A仲介業界の最大手の会社)に転職しました。まだ従業員数が70名くらいの時に入社し、そこから従業員数が約1,000名規模になるまでの成長過程を経験し、多少なりとも成長に貢献できたことは、間違いなく自分の財産であると言えます。当時私は、ほぼ新卒に毛が生えた程度の第二新卒の立場で入社しましたが(当時の社内ではかなり異端の存在だったと思いますし、かなり懐疑的な目で見られていたと思います。)、周囲は、中途で入社してきた各業界で圧倒的な確かな実績を上げられた猛者ばかりで、そういった方々が入社後直ぐに売上を上げ、M&Aを成約されているのを見て、意気揚々と転職した私は、自分は何者なのか、何と小さい存在なのだ、M&Aの会社に入ったのに自分は一生M&Aを成約できないのではないか、この人たちは何でこんなに早くM&Aを成約させられるのだ、と、それまでの人生では感じたことのない、とてつもない無力感を感じていたことを昨日のように覚えています。

 入社当初に抱いていた早くプロのM&Aマンになるのだ、という高尚な思いは消え去り、ただひたすら、そもそも会社で生き残るため、周囲に置いていかれないため、一刻も早く成約をするため、とにかく日々、朝から文字通り夜中までガムシャラに頑張っていました。今でも当時の上司から言われた言葉を覚えています。「人の2倍動け。そしてもっと頭を使え。頭を使えないなら人の4倍動け。」シンプルな言葉ですが、当時の私にはとても響き、今でも忘れることができません。

15年前のM&A初成約

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、前回の CxO Diaryでは、COOの塚田より当社の創業の思いやビジョンなどを語らせていただきましたので、今回は、趣をガラッと変え、15年前の私の初成約の話をさせていただきます。今では考えられないのですが、私は、初めてM&Aを成約するまで、1年6カ月もの年月が掛かりました。現在では業界の平均成約年月は1年を切ってくると思います。当然、経済環境や中小企業の経営者の方々のM&Aに対する理解が今とは全く異なるので一概に比較はできませんが、それでも当時の会社の中では入社してからの1年間は、圧倒的に不出来な社員でした。いわゆる2:6:2の法則の下の2の社員です。自分で言うのもなんですが、よくそこから這い上がってきたなと感じています。それもこれも、この初成約の時の経験が極めて大きいと考えています。

 ちなみに、M&A業界にいると、初成約の案件のことは鮮明に覚えている方が多いと思います。私の初成約は、譲渡企業の担当でした。関東地方の機械装置メーカーで、売上が約7億円、営業利益は1,000万円弱、純資産は約1,000万円、借入金が1.5億円程度ある企業でした。創業されたオーナー社長は69歳で、後継者がいない為、M&Aで会社を存続させたいということで譲受先を探すことになりました。ちなみに、今でも譲渡企業は社名も変わらず、譲受企業の子会社として世の中に存在しています。譲受企業も同じく関東地方のプリント基板機をはじめとした各種機械のメーカーでした。未上場の会社ながら、成長戦略の1つとして買収戦略を数多く実行している、当時では珍しい未上場の企業でした。

 上述の通り、私は、この初成約の案件でM&Aアドバイザーとして必要な極めて重要なことを数多く学びましたが、本日はその中でも1番学んだことをご紹介します。

訴訟に発展した初成約案件

 1番は”中小M&A仲介の怖さ”です。

 後にも先にも本件だけなのですが、大変お恥ずかしながら、私の初成約の案件は、成約後、譲渡企業の元社長(以下、「元社長」)と譲受企業間で訴訟が起こってしまいました。1件目から訴訟です。当時の私の気持ちは最悪です。当時私は25歳。初心な若者で、当然、訴訟なんて経験したことも、身の回りで見たことも聞いたこともない状態です。この仕事は何て怖い仕事なのだ、自分は何か悪いことをしてしまったのではないかと思っていたのを覚えています。

 当事者同士で訴訟になった背景は、元社長が署名捺印した株式譲渡契約書に記載されている事項を履行しなかったため、譲受企業が元社長を訴えたということでした。もう少し詳しく申し上げますと、譲渡企業は機械装置メーカーで、大型の案件になりますと1台数千万の受注が入る訳です。大型案件が入ると、その期の営業利益は大きくプラスになります。譲渡企業の元社長は、「M&A実施後すぐに当該大型案件の売上が確定するため、それを見越した株価(営業利益も上がるので)を付けて欲しい」という要望を持たれていました。それ自体はとても合理的なご要望で、譲受企業も納得をされ、当該大型案件が入ることを前提とした株価を設定し、クロージングを行いました。但し、『万が一当該大型案件が入らなかった場合は、株主である元社長は、譲受企業に対して〇〇円を返さなければならない』、そんな内容を株式譲渡契約書に記載をしていました。『〇〇円分を留保しておいて、大型案件が入れば〇〇円を元社長に支払う』という内容にもできたと思いますが、細かい経緯は忘れましたが、全てを検討のテーブルに乗せた結果、上述の内容で株式譲渡契約書を締結しました(当然、両当事者ともに、弁護士に株式譲渡契約書を見てもらっていました。)。

 結論としては、結局、当該大型案件が入らず、株式譲渡契約書に記載されている通りの内容で譲受企業が元社長に履行を求めたところ、元社長は「署名、捺印はしたが、株式譲渡契約書の内容など聞いてない、騙された。お金は払わない。」と言い、応じなかったため、当事者同士で訴訟になった、という経緯です。

初成約の経験から学んだ教訓

 これ、どうでしょうか?とても怖くないですか?せっかくご支援したのに、理由はどうあれ、その後、当事者同士が揉めるのはM&Aアドバイザーとしては最悪です。しかも、このケースでは、元社長は、「私に騙された」と仰っていたようです(後で譲受企業の社長から聞きました。)。下手すると、私のM&A人生、ひいてはビジネス人生は終わっていたかもしれないのです。但し、そうはなっていないのは何故か?それは、自分で言うのも何ですが、完璧な仕事をしたからです。
※厳密に申し上げますと、私は1件目でよく分からない点が多々ありましたので、譲受企業の担当者や私の上司がプロフェッショナルだった、ということです。その点、私はとても恵まれていたと考えています。

・(当たり前ですが)株式譲渡契約書を譲受企業、元社長の両当事者の弁護士に見ていただいていた。
→ 「騙された」という元社長の主張には無理があった。

・(当たり前ですが)揉めた原因である事項を訪問時に元社長に何度も説明しており、且つ、メールでも内容を送っており、その旨を社内の記録にもしっかりと残していた。
→ 「騙された」という元社長の主張には無理があった。

・株式譲渡契約書を締結する際に、調印式を実施した。調印式には当事者が全て(元社長、譲渡企業の他役員(株主)、譲受企業の社長)参加していた。その際に、私は、約2時間かけて、株式譲渡契約書をその場で一言一句読み上げて、その上で、その場で両社に署名、捺印をいただいた。 
→ 本来、M&Aにおける株式譲渡契約書の締結は、今でもその場で契約書の内容を読み上げて、当事者が納得の上で署名、捺印するべきだと思っています(実際は、そこまでやるケースは少ないことは当然理解していますが。)。

※当時の記憶を思い返して記載しているため、細部の情報が誤っている可能性があります。

M&Aプロフェッショナルとしての信念

 私のM&Aのキャリアの原点はここにあります。全くカッコいいお話ではありませんが、初めにこの経験をしたからこそ、仮に仲介者に責がなくとも、両当事者同士で揉めるような事象は起こしてはならない、その為にはどうしたら良いかを考え、成功するM&Aを支援したいという思いが強くなったという話です。

 昨今、ルシアン社問題などに起因して、M&A仲介業界自体を懐疑的に見る方々が増えていることも当然、理解しています。そんな中で当社は、“Be Professional”という信念を掲げており、私の初成約の苦い経験を原体験として、M&Aアドバイザー、ビジネスパーソンとしてプロであれ、プロとは何か、を常に追求し続ける存在になるべく日々精進しております。是非、こんな経験をしている代表が創業した会社、「NEWOLD CAPITAL」を少しでも多くの方に知っていただけますと幸いです。

 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
 次のCxO Diaryは、取締役の塚田に戻り、M&Aアドバイザーのキャリア初期のM&A成約についてお届け予定です。

栗原 弘行

代表取締役CEO

栗原 弘行

この記事を書いた人

慶應義塾大学卒業後、大手証券会社を経て、
2008年に株式会社日本M&Aセンターへ入社し、多くのM&Aを成約へ導き、上席執行役員として、最大規模の事業部を牽引。
「NEWOLD」を通じてM&A業界をアップデートすべく、2022年6月に創業。

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